落ちこぼれのこがログ

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はたらいてます

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社会人になって1ヶ月が過ぎた。本当なら怒涛の1ヶ月で、いろんな感情が渦巻くはずだったのだが、予想外のウイルスが渦巻き、感情が渦巻くことはなかった。酸いも甘いも貯まることなく、新社会人の文句を垂れ流す計画は残念なことに破綻してしまった。いずれ貯まったら吐き出したい。
性格、タイミング、周りの雰囲気から就活もあまり上手く進まず、結果的には知り合いのコネで現在は働いている。(9割5分は自分のせい)大学入学も合格最低点+1点、単位もテストもギリギリ、卒論も教授さまさま、節目節目は運だけで突破している。就活も運だけ。我ながら節目の運だけは良すぎると感じる。どこかでつけが回ってくるのだろうか。

詳しいことまでは書けないが、本来コロナがなければ、社長の鞄持ちとして付いて回る予定だった。そこで多くの人と出会い〜みたいな文章が生まれるはずだった。しかし、世間の状況はstay homeなので打ち合わせは在宅となり、未だに出社回数は片手で足りるほどである。そんな状況で、まともに働いている と個人的には言えないが、こんな状況だからこその新卒メンタルを書いてみる。

 

 

まだ就活をしていた際、ある会社の見学で「本当に思ってることを言ってみて」と社員の方にフランクに聞かれた際に「本当は働きたくないです」と言ったことがある。予想外の返球に、社員の方は若干引いていた。三次面接も終え、内定間近の企業だったのだが、見事にその会社からは落とされてしまった。「落とされた」という自分がまるで悪くない、被害者だ、と表現しているが、責任の所在は明らかにこちらだ。申し訳ない、就活やらストレスで狂っていたのだろう。言葉の真意は今となってはわからないが、頭がおかしいのは確かである。

ただ、自分が本当に働く、という意識を持ったのが恐らくこれ以降である。就活をしながらも、自分は「働く」から目を背けられると何故か思っていた。謎の自信過剰、テスト前の学生よりバカである。しかし、会社見学によって自分が社会人として働かなければいけないことを直視することになった。テスト用紙をチラ見してしまったのだ。そこから反射的に出る感情は、働きたくない、テスト無理、だった。

そうは言っても就活生、働きたいです、と言わなければならない。だから口では「働きたいです」と言った。でも、目は口より言っていたのだろう「働きたいわけねーだろ」と。当然、まともに就活は進まなかった。

これでは駄々を捏ねる子供と同じだったので、次の課題はどうして働きたくないのか、だった。どうにかして「働きたい」と思えるように考えようとしていないところに、自分の悪いところが滲み出ている。

先に答えを書いてしまうと、働く理由が説明できないことが、一番の原因だった。働くのは生活するため、という普遍的な理由以外の何かがどうしても欲しかった。普遍的な理由だけではどうも納得できなかった。例えば、子供を育てるため、自分の夢を叶えるため、アイドルのコンサートに行くため。どんな小さな理由でも自分が納得できるものならなんでも良かった。しかし、それが一切見つからない。この先、自分のしたいことが全くわからなくなっていた。

今まで大なり小なりあれど、自分なりの理由、目標があって勉強やバイトなどの物事に取り組んできた。全く意識はしていなかったが、これが自分に染み付いていて、当たり前だと思っていた。だから、何かを達成したいから行動する、という手順から離れることが気持ち悪く感じていたのだろう。何のために自分が働くのかわかっていないのに、働きたくない。この「何のために自分が働くのかわかっていないのに」の枕詞が「働きたくない」の前に隠れている、と気づいたのは就活の終わる時期だった。

 

じゃあ、何で就職したんだよ 。というのが自然なツッコミ。これを話して、理解してくれる人の会社に入れたのだ。なんとも都合の良い人生である。ここでいろんな世界を見たら、何か見つかりそうな気がする、そんな理由も会社を決めた一つである。

と、知らないうちにイイ話風になってしまっている。危ない、良い話エッセイで終わりそうだった。悪い癖である。話の本線は「働く理由」である。見つかったのか。

stay homeで考える時間が学生の時よりもあるので、自分の趣味や願望を整理してみたり、他人の理由を聞いてみたりした。他人のを聞いていると感服するもの、それで良いのかと思ってしまうもの、様々な理由があった。後から見つければいいんだよ、みたいなアドバイスも散見されたが、今欲しいんじゃい!と強い気持ちでお断りして探した。1ヶ月以上考え、ようやく自分の中で暫定一位の理由を捻り出した。

それは「死ぬまでの暇つぶし」だった。

ふざけんな、溜めた割にしょうもないのを出すな、そんな声が聞こえるが無視させていただく。コロナウイルスの影響で、入社してすぐ在宅ワークになった。ある程度、課題や仕事は割り振られるものの、新入社員にできることなどたかが知れている。すると、どうしても勤務時間中でも暇な時間が多いのだ。趣味も特にない自分には何もやることがない。そのときに気づいてしまった。学生が終わった後、働いてないとめっっっっちゃ暇だということに。

これが元で、暫定一位が決まった。簡単に死ぬことも許されていない世界で、生活のためにもなって、空いている時間の暇つぶしにもなる、これが仕事だったのか、とウルトラ納得した。こんなに腑に落ちる理由を捨て置くわけにはいかない。大事に大事に自分の中に取り入れた。これも普遍的な理由ではあるが、わざわざ口に出している人は少ない。自分にとって特別であって、他人と違うことが感じられればそれでいい。それこそ、生きていく内に新しい理由が見つかったら変えればいい。今の理由は「暇つぶし」で十分だ。あ、自分もそれいいかも、なんて思っても、俺には言わないでくれ。また探さないといけなくなるから。多分、もっとカッコいい理由あると思うよ。