落ちこぼれのこがログ

考えること、思うことを好き放題書きます Twitter ID@kogatantan

勝手に比べる

【スポンサーリンク】

f:id:kogatan:20200913212233p:plain

 

嫉妬の話。こないだ、オードリーの若林さんが某番組で「嫉妬って勝てると思ってた相手に勝ててないことに気づいたとき感じるんだよね」的なことを喋っていた。トーク番組で、その部分は話としては盛り上がってはいなかったが、個人的になんか引っかかって三回巻き戻してそのシーンを見た。

彼の説明はこんな感じ。全ての人ではないけれど、人って自分の中で、現実の自分よりちょっとデキる自分を持ってる。テスト前に自分ならできる、って根拠もなく感じたときの自分。こいつの存在が大きいと、現実の自分はどうであれ、このデキる自分なら、なんとなく勝てると思ってしまう他人が多くなる。でも、現実では負けているのを目の当たりにしたとき、「嫉妬」を一番感じると思うんだよね、という話。

なんかこれが妙に納得できた。悔しいって感情もこれと似たようなイメージなんだろう。もう今はあまりないが、一時期、若手実業家!登録者数◯万人youtuber!人気インフルエンサー!みたいに同年代がフィーチャーされていると、なんとなく気分悪く、むず痒く感じていた。でも、メジャーの大谷くんや将棋の藤井くんみたいなスーパー天才です!って人には何も思わず、素直にスゴイと感じていた。どっちも自分より優れている点があるのは同じなのに、何がこうも違う存在に感じる原因なのかよくわからなかった。

ただ彼の説明でよくわかる。(絶対なれないとは思っているが)実業家やyoutuberはデキる自分ならできたんじゃないか、と思っていた。そこに「嫉妬」と名前をつけるのも悔しいから「気分悪い」で蓋をしていた。それだけの話である。デキる自分でも絶対勝てないとわかるようなスーパー天才には何も思わなくて当然なのだ。

ただ、歳を重ねると本当の自分を思い知ることが増えてくる。本当は何もデキないのである。自分を知れば知るほど、昔あった謎のデキる自分像は壊れていく。二十歳をすぎてからはデキない自分像の方が濃くなったように思う。だから自分より優れている人を見たときに「気分悪い」とも思わなくなった。当たり前のことで、デキる自分がもういないし、勝てるはずだと思う根拠がない。道理で最近嫉妬しなくなったんだなと、いろいろ合点がいった。

こうして、デキない自分像が濃くなってくると負け癖がついていく。勝手に勝負を仕掛けて、負け判定をして変な落胤を押していく。THE 自滅。自己否定の一端である。何をしてもどうせデキない、そう思い込んでいく。自分で自分にどんどん蓋をする。あぁ嫌になる。いつも勝手に嫌になっている。

いつも通りならこのまま気分悪く終わる。が、珍しくもう少し続く。

この話を一通り友人に話してみた。友人は「感覚として分からなくはないけど、そこで諦めるのも違うと思うよ。だからって自分より下を探すのも違うけどね。」正しい。あまりの正しさに返す言葉がなかった。変な方向に考えが発展する前に話してみるのは大事だ。類が共を呼んでなくて本当によかった。

誰かと比べることでしか自分を保てない状態は健全じゃない。勝ち負けで考えること自体に無理があるんだから。あぁ、当たり前が身に染みる。今更学ぶシリーズ何回目だろうか。いつも気づくのは遅い。まぁ気づいただけマシか。また一ついいことを覚えた。

理想と現実のズレ、他人の評価、自分が崩れるキッカケは些細なものだ。それをどうにか戻して、またチューニング。また壊して直して。そんな繰り返しで自分が固まっていく。まだまだ合わせる作業は続きそう、というか終わるんだろうか。それとも飽きるのが先だろうか。飽きて欲しいな。