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アドラー心理学「課題の分離」とは?

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はい、どーも こがです

 

 

今回は、アルフレッド・アドラーが創始したと言われる

アドラー心理学の「課題の分離」の解説をしたいと思います

 

前記事では、アドラー心理学の本である「嫌われる勇気」の感想を書いておりますので、よかったらどうぞ

 

 

www.kogatan.com

 

 

では、改めてアドラー心理学の中でも大切な概念の1つである「課題の分離」について

 

 

「課題の分離」とは、字のごとく

その「課題」は、誰のものかを「分離」する

という考え方です

 

アドラー心理学において、「課題の分離」は、対人関係を楽にする方法として説明されています

 

これだけではわからないかもしれません 

 

それでは、「課題の分離」の理屈や何の役に立つのか、いつするのか、など見ていきましょう

 

 

・「課題の分離」とはなにか

 

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具体例から見ていきましょう

 

 

過去の僕の話をします

 

 

あなたは学生時代、親に「勉強しなさい!」と口をすっぱくなるほど、言われたことはないでしょうか

 

言われたあなたは嫌々、勉強していませんでしたか?

 

 

僕は親に「勉強しなさい!」と、強く言われた記憶がありません

 

言われていませんが、自分で進んで勉強はそれなりにしていました

 

 

 

決して僕が優秀だった、と言いたいわけではなくこれが「課題の分離」なんです

 

 

 

もう少し詳しく説明しますと

 

うちの親は「勉強する」という「課題」をしっかり「分離」していたんです

(おそらく何の意識もしていないことでしょうが)

 

 

 

本来、「勉強する」という「課題」は誰のものでしょうか?

 

もちろん、「子供」ですね

 

「親」が勉強するわけではありませんし、しなかったとき困るのは「子供」のはずです

 

 

親子とはいっても、同じ人ではありません

親が子供のすべての責任を負うわけではないでしょう

 

 

つまり、

「勉強しなさい」という親の声は「子供の課題」へ踏み込んでいることがわかるでしょうか

 

 

 

「じゃあ親は、子供をほっとけってのか?」

 

なんて声が聞こえますが、違います

 

 

放任しろってことではありません

 

 

「子供の課題」に介入するのではなく

「親の課題」を全うするのです

 

 

うちの親は「勉強しろ」とは言いませんでしたが、

僕が「やりたい」と言った勉強法はすべて満たしてくれました

 

 

進研ゼミやりたい、英語教室に行きたい と言った時も、あの参考書が欲しい

なんてものまで、大概叶えてくれたんです

 

 

他にも「これやってみたら?」「あれやらなくていいの?」などの声掛けも多かったです

 

これが「親の課題」です

 

 「子供」を全力でサポートをするのが「親の課題」なのです 

 

 

勉強を強制させるのが「課題」ではありません

 

 

うちの親が意識して「課題の分離」をしていたとは思えませんが

 

 

結果として、僕は「勉強」への抵抗感を強く感じないのは事実です

 

 

僕はこの点、非常に親に感謝しています

 

 

これが「課題の分離」なのです

 

 

 

・「課題の分離」のメリット

 

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前項では、僕と親の「課題の分離」についてお話ししました

 

ですが、本来この「課題の分離」が役立つのはもっと日常的なことなんです

 

 

 

あなたは対人関係で悩んでいませんか?

 

会社の上司が…

バイトの先輩が…

研究室の教授が…

 

 

いろいろ問題を抱えてる方もいるかもしれません

 

 

そんなときこそ、「課題の分離」を使ってください

 

 

最初に書きました通り、「課題の分離」は対人関係を楽にする方法なのです

 

 

今、自分が悩んでいる問題は

「自分の課題」なのか?

「他人の課題」なのか?

 

 

「他人の課題」を自分が解決しようとしていないか

一度振り返ってみることが大切です

 

 

よくある例で

他人が自分のことを、どう思っているか心配です

 

 

というのがありますが

他人がどう思うかは「他人の課題」で、自分が気に病むことはないのです

 

 

「他人の課題」に介入しすぎて、自分が壊れる必要なんてありません

 

 

ただ、

全部これで判別できるほど人間はできていません

 

 

 

 

自分が対人関係で、辛いときだけでもよいです 

本当に自分が悩むことなのか、判断するというのは楽になれるチャンスをくれるでしょう

 

 

・まとめ

 

・悩んだときは、目の前の「課題」が誰のものか見極めよう

 

「他人の課題」で自分を追い込まないで 

 

 でした

 

 

アドラー心理学では、「課題の分離」をもとに対人関係の話を続けるわけですが...

 

正直、全部を分離できる人がいるとは思えません

 

なので僕は

たまに、たまにでも「課題の分離」ができたら、楽になれることもあるかなって思ってます

 

 使ってみてね

 

 

それでは、また