落ちこぼれのこがログ

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運だけキャリアマン

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こんなお仕事をしていると「キャリア」という単語をよく目にする。
「私のキャリアは〜」「キャリアアップのために〇〇しました!」「次世代のキャリア作りはこうだ!」などなど。
いかにも、意識高い系を感じるのはなぜだろう。胡散臭いやつらが多く使っているからだろうか。日本語で「経歴」のことなのに、カタカナにするだけでここまで変わるのもすごい話だ。横文字ってすげえ。

そうではない、横文字の話はいいのだ。今回はそんな「経歴」の話を書こう。

 

当然、まだまだ顔は広くないので自己紹介をする機会は多い。以前、「自己紹介苦手です」と先輩に言った時に、「これから1万回はするから慣れるよ」と言われたがその通りだと最近は思う。

で、たまたま自己紹介の資料を作ることがあった。とりあえず作ってみて、最初の感想は「やっぱり大したことない経歴だなー」だった。高校出て、大学行って、インターン行って、みたいな。

でも、自分が数ヶ月の間にやってきたことを並べてみたら、結構いろいろやっていた。企画に参加させてもらったり、インタビュー行ったり、Webサイトの担当箇所もらったり、インターンでもなかなかできないことをさせてもらっていた。書いてみないと意外と気づかないもので、結構びっくりした。

しかし、びっくりしたのと同時に、固有スキル「自己肯定感の低さ」が発動した。
「あれ、これ運いいだけじゃね?運だけキャリアマンじゃん。」

そう思ってしまったあとは、自己紹介がより嫌になった。力もないくせに運だけで色々やってます感が出てしまうのが嫌だった。なんとも迷惑なスキルだ。

 

しかし、その思考は長くは続かなかった。理由は簡単で、「僕がこう考えるのは、僕に仕事を投げてくれた人に対して失礼だ」と思うようになったから。
仕事をくれる人がどんな判断で任せてくれたかはわからないが、任せてくれた以上「信頼」してくれたのは間違いない。その「信頼」を僕が「運だけ」と切り捨てるのはあまりにもマナー違反だ。

 

そう思ってからは、「自分は何かしらの実力を秘めているからこのキャリアになった」となるべく思うようにしている。自己肯定感の低さ、どこいった感満載である。

でも、自己肯定感爆上がりの思考は素晴らしい。もちろん、人前でそんなことは言わない。たまに思うだけ。ここに書いたら同じだけど。

 

あと「運だけ」ってのもちょっと違うのかなと最近思う。
「”たまたま”その場にいただけ」「”偶然”手が空いていて声がかかった」とよく言われるが、この”たまたま”とか”偶然”も立派なその人の持ち味じゃないだろうか。「運がいい人」はなるべく人に会うようにしたり、出来るだけ手を挙げるようにしていることが多い。

僕も時間が割ける限り、よくわからないのに会議に参加してみたり、やれるか怪しいけど手を挙げたりしてきた。”偶然”を引く母数を増やしていた。そのおかげで色々できたと考えると全然、「運だけ」じゃないのかもしれない。
いろんな場で顔を出すのは思わぬところで”偶然”を産んでくれる。顔を合わせるだけでも効果は多分ある。これも実力の一つ。多分。

偉そうに語ってきたが、僕はまだまだ甘ちゃんである。ここからもラッキーボーイであり続けるために「やってみようから始めよう」は続けていきたいと思う。キャリアを意識される時代、運も上手に使っていこう。

 

自己肯定感も高まるから「運も実力のうち」はおすすめです。

それでは。