友達になる壁あるくない?
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6月だ。しかし、今年は五月病にならなかった。ていうか、病むときって月なんて関係ないと思う。もう過ぎたけど、五月病というフレーズで少し書かないと、僕のアイデンティティもそろそろ消えそうなので書く。五月病の元になりやすい「人付き合い」のことを書こうか。
仲良くなる
人付き合いは苦手、だった。一応過去形。今は得意分野です!とは言えないけど、年明けからなるべく人に会うようにしたおかげで多少マシになった。今年の目標(人に会う)だし、頑張ってる方。やればできる子YDKです。
多少マシになったおかげか、ありがたいことに知り合い?友達?先輩?先生?が増えた。よく考えると、大学に入ってから友人も知り合いもそんな増えてないから、ここ半年で急に増えてる。
確かに会えば話せる人は増えた。上手くはないけど、場を持たす程度に話はするようになったと思う。これは確かに成長。
でも、どこか他人行儀で詰め切れない壁が、どの人にもあるのも感じる。自分が作っているのか、相手が作っているのか、まぁ多分僕だろう。
お仕事をくれる方、一緒にさせてもらう方が多い、かつ年上が多いのである程度、一線引くのは間違っていないと思う。みんな友達、タメ語でイェイイェイしたいわけじゃない。ただ、なーんか一歩詰め切れない感覚。
いつからだろうか。高校のあたりだろうか。人との距離の詰め方がイマイチわからなくなったのは。僕には「会話の途中で、遠慮なく自分から軽いボケを入れるようになったら、その人と仲良くなれた」というラインと「無言で一緒にいても空気が悪くならず、無理に話そうとしなくていい人は友人」という極めて曖昧な指標がある。個人的な感覚で、自分でもいつからこのラインを引き出したかもわからないが。
自分から冗談が言えるかどうか、は結構大きな壁なのである。会話の返しで冗談を返したり、間抜けをやらかすのは含まない。「自分スタート」は結構レベルが高い。プラス無言タイムが平気の間柄も結構難しい。
で、この基準でいくと、ほとんど小中高の友人に限られる。「付き合い」を考えない頃に友人になった奴らには、遠慮ない物言いをするし、意味のわからない話もするし、平気で黙る。
さっきも書いたが、お陰様で「人付き合い」はマシになった。深く付き合わない広く浅い感じの付き合いは。その代わりに友人の作り方は前より酷くなったのかもしれない。というより、元々知らなかったのかもしれない。
「信用」
で、こんな話を昔ながらの友人に話したところ、友人からも賛同が得られた。友人は「なんか、大人になるにつれて新しい人を『信用』できなくなったよな」と語ってくれた。
僕は妙にこれに納得した。否定しておくが、仕事をくれる人たちを疑っている訳ではないし、一緒に仕事してくれる方たちの仕事に不安がある訳ではない。みなさん本当にいい方で信頼してるし、尊敬している。僕なんかよりすごい人ばかりだ。
ここでいう「信用」は仕事のことではなくって、友達としての「信用」。僕は歳を重ねるごとに、友達としての「信用」がイマイチできなくなったんだと思う。
理由はわからないし、友人がいらない訳ではない。でもなぜか「友人」の距離にまで行けなくなってしまった。そんな理由を考えると、
・自分の強み、弱みを理解し始めて、見せていい自分、見せてはいけない自分を演じるようになったから?
・学生時代のように一緒にいる時間が長くないから?
・警戒してるから?
いくつか出るけど、どれもはっきりしない。
ただ一番思うのは、「大人になって、余所行き用の顔が必要になる歳になったのを悟った」ってこと。 いつまでも子供みたいに仲良く好きなこと喋って笑って、って訳にもいかなくなってきたのかなって勝手に思ったり。わかんないけど。
精神的にはまだ中学生ぐらいのつもりだったけど、もう結構な大人になってしまったんだろうか。まだまだ子供っぽく友達作って、仲良くなれる精神だと思ってたんだけどな。こんなことを思ううちはまだ子供と信じたいけど、ダメですか?