落ちこぼれのこがログ

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意識低い系代表になります

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先日、ツイッターで

こんなプロフの人とは関わらないほうがいい!
・起業
・一期一会に感謝!
・自由人
・独立
・月収○○万円 

って感じのを見た。詳しく覚えてないけど、だいたいこんな感じ。これがめっちゃバズってた。

俗に言う「意識高い系(笑)」と揶揄するツイートである。 
ツイート主の本心はわからないが、俗世間では「ネットビジネス」とか「フリーランス」って単語だけで毛嫌いする人が少なからずいる。よくある話だ。

とはいえ、「ネットビジネスは今や当たり前(キリッ)」とか「フリーランスをご存知でない!?」なんて言いたいわけではない。ていうか、そんなマウントを取りたがる人とは、それこそ関わらなくていいと思う。

 

かく言う自分もライターをやるまでは、ネットビジネスは全部詐欺と思ってたし、フリーランスは就活できなかった人だと思っていた。 (なら詐欺なんてかかるな) 

散々、小中高と「大手企業に入って、高所得サラリーマンが正義」と先生や親から刷り込まれてきたから。

だからと言って、親や今までの先生が悪いとは思わない。実際、親世代にとっては「大手企業は正義」だった。いい大学を出て、大手企業で高収入の流れが確立していた。

先人の知恵に基づいて教えてくれていたのだから、子供にそんな教育をしてしまうのは自然なことである。ここで親世代をバカにするようなやつとも関わる必要はないよ。

 

もし、ライター活動するまでの僕がさっきのツイートを見たなら、「間違いねえな、意識高い系キツイわ」と思っていただろう。 
ネットビジネスやフリーランスの人を一色単に「意識高い系(笑)」と、バカにしてた側だったのだ。つまり、揶揄する側に浸かっていた。

 

さて、今の僕は 

『あれ?ライターってネットビジネスが基本で、しかもお前フリーランス目指してね?』

 

そう、過去の自分がバカにしていた「意識高い系」の人間になりかわった。心は追いつかないままに。

気づけばツイッターのFF内は月収を載せている人や起業、独立した人、ネットビジネスに携わる人が増えた。もちろんライターの方も多い。

それが嫌な訳ではない。ただ、心ってそんなにすぐ根っこから変わるものじゃない。子供の頃に植え付けられたものなら尚更に。

だから正直、ツイッターで「意識高い」人にフォローされると「また別の世界の奴来たな」と感じていた。

起業、独立とかベンチャーの人を見てもどうしてもバカにしていた頃の自分が顔を出して、「やべえことやってんじゃねぇか?」って思っていた。ツイッターだろうと現実だろうと口にこそ出さないが、そんな感覚は消えなかった。

 

ここで、都合よく自分も「意識高い系」になっていればいいのだが、散々揶揄してきた側にパッと変わり身できる人間はいない。過去の自分にはいつまでも引っ張られる。

 

最近、自分も「意識高い系」に心から成り変わろうと思って、「意識高い人」を観察してみた。真似できることがあればやってみようと思って。

だけど観察して気づいたのは、あの異様にポジティブな感じは、アタマでも打って記憶を失わないと無理だということだけだった。

 

ポジティブで自分に自信がある特性は、人を引っ張る立場の人間には必要不可欠だ。そんな人を周りは応援したくなるし、実際応援されている。成功している人間は、常にポジティブで自信のある人間が多いんじゃないだろうか。

 

だから、ポジティブで自信のある姿をアピールして、過去の成功者に習っているのが「意識高い系」では?と思うようになった。形だけの人もいるだろうし、根っこかポジティブで自信のある人間もいるとは思うけど。それがダサいとか悪いと言いたいわけじゃない。むしろ、貪欲に自分の評価を求めるのは偉いと思う。

 

それを踏まえて、自分には繕っても無理があるなってことを悟った。自分にそんな強い気持ちをキープできる力はない。でも、そんな人たちへの目線は少し変わった。

 

いろんな生き方が許容される世界にドンドンなって、ある意味正解がわからなくなっている。だからみんなしんどいし、足掻いている。誰かの後を追ってみたり、新しいことをしてみたり必死だ。秀でること、特別なこと、例外であることを求められ続ける世界は自由だけど、厄介だ。自分もそうだから尚更。

 

だから、そんな足掻き方の一つが「意識高い系」なのかなと思う。たまたま、人の目を引く足掻き方で嫌悪感を招いただけで「意識高い系」もたぶん必死。 そう思ったら、苦手意識もちょっと薄れた気がした。

 

 

自由で厄介な「令和」時代。 「自分なりに」が強くなる中で、僕はどうにか「意識低い系」として足掻いていこうと思う。やっぱり、意識高くは無理そうだしね。新年号も大変そうだ。

 

それでは。