当事者意識をどこまで持つべきなのか
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はい、どーも こがです
今回は、「当事者意識」について少し書いてみようと思います
あくまで個人の感想です
それでは、どうぞ
ここ最近というほどでもないが、ネット上で「炎上」をよく見かける
ネットニュースを開けば、必ず1つあると言っても過言ではない
女性差別でどうやら、芸能人の発言がどうやら、例を挙げればキリがない
その「炎上」は当然SNS上で起きる
○○「この人の発言は、差別です!!!」
△「そうだそうだ!」◇「これおかしいですよね!」
これが無限に続き、もう火だるまである
批判の力はすさまじい、これに尽きる
もちろん、非難されて当たり前な発言や行動をしていることは多々ある
自分もニュースを見て、「それはないやろー」って感じることは当然ある
ただ、そのニュース1つに怒って行動を起こすことはまあない
しかし、世の中にはわざわざ一つのニュースに過剰反応する人たちがいる
まるで自分のことを言われたかのように反論している人や、親でも殺されたのか?ってぐらいキレている人が結構いる
で、だいたいキレてる人たちのツイートがさらに伸びて、過剰炎上なんてのも多い
こういうのを見ていると
「どうしてここまで、当事者意識を持てるのだろうか?」と思う
例えば、僕の性別は男だ
しかし、男性差別の発言で炎上しているのを見ても、最初はムカッと来るかもしれないが最終的には、「なんかまた言ってるわ、どーせ自分には言ってない」と落ちつく
つまり、発言や行動の対象が自分であるという意識が弱い、当事者意識があまりないのである
本来、炎上するような発言、行動が自分たちに害を及ぼすレベルであることはめったにない
大概は、名の通ったような人が、ちょっと世間一般で良しとされてないことを言ったパターンや、自分に被害のないところで起きたものばかりである
それにも関わらず、勝手に非難された気持ちになって、勝手に怒っている人が多すぎやしないだろうか
例えば、加害者を庇ったような発言があれば「被害者の気持ちがわからないんですか?」ってキレる人が結構いる
しかし逆に、「どうして被害に遭った人間でもないのに、被害者側としてそんなに怒っているのか」が僕にはわからない
現代は、気軽に自分の意見を大きく言うことが可能になった半面、逆に多くの意見を聞くことができるようになった
表現の自由がぶつかることも多くなり、一概にこうした方がいいというのはわからない
だけどもう少し、他人の発言、行動に対して当事者意識を少なくした方が、楽に物事をみることできるような気はしないだろうか?
それでは、また